本当の名前はラーレ? チューリップの歴史と魅力を紹介

作成日:2016.03.16

最終更新日:2016年3月17日

カテゴリー:花と草木のお役立ち情報

チューリップといえば、定番の春の花の1つですよね。春になると、公園や町内の花壇に咲いている光景を目にします。

日本人にとってチューリップはとても親しみのある花です。NHKの放送文化研究所の調査では、「日本人の好きな花」の1位は桜。そして2位はチューリップでした。

(出典:http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3991.html

私たちにとってチューリップは身近な存在であり、愛すべき花です。

でも、身近なわりにはチューリップのことを詳しくは知っている人は多くないでしょう。この記事では、チューリップが辿ってきた歴史について紹介します。

チューリップはどこからきて、何故チューリップと呼ばれるようになったのか、そこには面白いストーリーがあります。

また、17世紀のオランダでは、「チューリップ・マニア」と呼ばれるチューリップ愛好家がたくさんいました。しかし、チューリップの人気ゆえに経済事件まで起こってしまいました。

人々に愛されてきたチューリップの歴史をみていきましょう。

1章 ルーツと名前の由来

チューリップという名前は、あるトルコ人の勘違いに由来します。

1-1、原産地

チューリップの栽培や販売が盛んな国といえば、まずオランダを思い浮かべますよね。オランダは誰もが知るチューリップ大国。

アムステルダム屈指の観光名所であるシンゲルの花市では、様々な品種のチューリップが売られています。

チューリップのシェアもオランダが世界1位。そのため、発祥の地もオランダなのではないかと思っている人も多いかもしれません。

でも、実はチューリップの原産地はトルコのアナトリア地方といわれています。

トルコのトプカプ宮殿などの宮殿、そしてブルーモスクなどのモスクのタイル装飾や、君主たるスルタンの衣服などにチューリップが描かれています。

当時、チューリップは富、権力、尊敬の尊重として、とても高貴な花とされていました。

また、現在のような園芸品種のチューリップもトルコで12世紀に品種改良されたのが始まりなのです。

1-2、名前の由来

実は、チューリップ(Tulip)という名前はターバンに由来すると言われているのです。ターバンとは、中近東の人々が頭に被る布を巻いた帽子のこと。トルコ語でターバンをツリバン(tulipan)といいます。

この名前の由来には、こんな逸話が残っています。オーストリアのトルコ駐在外交官、ブズベックがチューリップを見て、その名前をトルコ人にたずねました。

ところが、トルコ人は花の形を聞かれたと勘違いしてしまいます。そこで、チューリップはターバンに似ていると思い、ツリバンのラテン語訳である「チューリバン」と答えました。

この「チューリバン」を外交官が花の名前と勘違いしたまま、よそで紹介してしまいました。チューリバンはその後チューリッパに変わり、現在のチューリップに変化したといわれています。

ちなみにトルコ語でチューリップのことは「ラーレ」というそう。もしも正しく伝わっていたら世界中で「ラーレ」という花として愛されていたと思うと面白いですね。

2章 ヨーロッパにおけるチューリップの歴史

16世紀、チューリップは初めて西ヨーロッパに紹介されました。

2-1、16世紀に西ヨーロッパへ

西ヨーロッパにチューリップが伝わる契機を作ったのは、オランダ人のウシェー・ギスレイン・テ・ブスベクです。ブスベクは大使として、オスマン帝国第20代皇帝のスレイマン2世のもとに派遣されていました。

ブスベクはおそらく、様々な品種のチューリップを宮殿で見かけたのでしょう。友人で植物学者のカロルス・クルシウスに、チューリップの球根を贈りました。

クルシウスは16世紀に活躍した植物学のパイオニア。オーストリアのウィーンで、皇帝のハーブ園の管理を担当していたこともあります。

後にオランダのライデン大学の教授に就任すると、チューリップ栽培に取り組みます。研究の中で、クルシウスはチューリップに起こる突然変異に気が付きます。

それはブレーキングと呼ばれる現象。当時ではなかった、斑点模様のチューリップが咲いたのです。当時はこの模様が大変な人気を呼びました。

しかし、20世紀に入ってから、この現象はチューリップがウイルスに感染したために起きていることがわかりました。当時は変わった模様や色が人気だったため、「品種改良の成果」と思われたのでしょうね。

2-2、チューリップ人気の上昇

当初、チューリップは貴族など上流階級の人々の間でのみ、鑑賞されていました。チューリップが一種、ステータスのシンボルとなっていったのです。

イギリスやドイツの上流階級社会では、「チューリップを収集していない家は趣味が悪い」とまで言われたとか。

その後、チューリップの品種改良が比較的簡単にできることを知った庶民も関心を寄せるようになりました。そして、ヨーロッパ全土でチューリップの改良ブームが起きていきます。

この改良ブームが後にオランダにとんでもない経済事件を引き起こすきっかけになりました。

3章 チューリップ・バブル事件

1637年、オランダでチューリップ・バブル事件が起きます。チューリップ熱に浮かれた人々が起こした、世界初のバブル経済事件でした。

どのような経緯があったのかみていきましょう。

3-1、投機家による売買

チューリップは西ヨーロッパに伝わると、それ以降、オランダがヨーロッパのチューリップ生産の中心を担います。

1634年ごろになると、貴族たちの間で、チューリップはますます高値で取引されるようになっていました。

そのことに目を付けた投機家は、球根を買いあさるようになります。彼らはチューリップ人気を見込んで、球根を異常な高値で売買しました。高級な球根は量り売りに、安価な球根は袋詰めなどにして売られたといいます。

新しい品種になるとさらに高値がつけられ、球根1つと家が交換されるなどの異様な事態が起こるようになります。

この頃人気を集めたのが「2-1、16世紀に西ヨーロッパへ」で記述した、ブレーキング現象の起きている斑点模様のチューリップでした。

このチューリップは儚げな淡い色と独特の模様が美しい一方、ウイルス感染で弱くなっていました。そのため育てるのが大変難しく、その希少性からさらに高値がついていったそうです。

病気の球根を高値で売買していたなんて、少し滑稽な話ですよね。しかし、もう人々のチューリップ熱は誰にも止められない状態だったようです。

3-2、一般庶民の参入

この投機ゲームに庶民も目を付けるようになりました「チューリップは儲かる」との噂が流れると、彼らも投機に参入するようになります。

もともと、チューリップは球根を、冬の時期だけ現物で売買するのが通例でした。しかし、需要の高まりから、通年を通して売買されるようになります。

また、手形を使った先物取引制度を導入することで、さらに過熱していきました。

先物取引とは、将来の売買について現時点で約束をする取引のこと。売れると見込んだ投機家や庶民は、先取りした取引をどんどん加速させていきます。

3-3、大暴落

1637年2月3日、ついに大事件が起きてしまいました。球根の価格が大暴落したのです。

その日、いつものように球根を転売しようとした売人がいました。しかし、昨日まで山のようにいた買い手が、潮が引くようにいなくなったのです。

その話はすぐ街中に伝わりました。すると、売人たちは一気にパニックに。多くの業者が我先にと球根を売ろうとしましたが、後の祭り。彼らの球根を買うという人々は全く見つからなかったのです。

これが、歴史史上初めて起きたバブル経済事件といわれています。チューリップ熱に浮かれ一獲千金を狙った人々は、一夜にして無一文になってしまったのです。

そもそも、投機ゲームに参入した庶民が売買していた球根は、安価でよくある品種でした。それをわざわざ高額でチューリップ愛好家が買うはずもありません。

手形は不渡りを起こし、債務者が何千とあふれかえりました。債務者と債権者の衝突も起こり、頭を抱えたのは議会や市当局。債務者にもはや支払い能力がないことは明白です。

結果、「チューリップ取引はいったん保留」という決定を下し、債務と債権をうやむやにしました。約4年にわたって続いた人々の熱狂は、あっけなく終わったのです。

一方で意外なことに、このチューリップ・バブル事件が及ぼしたオランダ経済への影響は、あまり深刻ではなかったようです。

オランダ国内ではチューリップの買い手がいなくても、ヨーロッパ全土ではチューリップはやはり高値で売買されていました。

そして、オランダはチューリップを供給する栽培ノウハウも確立していたので、すぐに暴落へ対応することができたのです。

その証拠にオランダはそれ以降もチューリップ大国として、世界中に花を輸出し続けています。このチューリップ・バブル事件はオランダにとって、一瞬の悪夢くらいの影響しかなかったのかもしれませんね。

4章 日本におけるチューリップの歴史

チューリップが日本に伝わったのは、1863年です。ただし、数も少なく外国人や上流階級などごく一部の人々の観賞用だったそう。

その後、大正時代になって本格的な球根栽培が始まりました。

チューリップの和名は「鬱金香 (うっこんこう)」。ウコンのようなほろ苦い香りがすることから、こう呼ばれるようになったそうです。

生産は富山と新潟が中心

現在、球根栽培の日本一は富山県。切り花なら新潟県が日本一の生産量を誇ります。チューリップはこの両県の県花でもあるんですよ。

どちらの県も水田裏作として球根栽培が盛んです。日本海側の降雪地帯は湿気が多く、夏はそれほど気温が上がらない気候がチューリップ栽培に適しています。

「チューリップの父」の奮闘

富山県で球根生産が可能になったのは、「チューリップの父」と呼ばれる水野 豊造(みずのぶんぞう)氏の貢献があります。水野氏は冬場の水田の有効活用として、球根栽培に着目しました。

貧農だった水野氏は冬場の農閑期の裏作に、何か良い草花や食物はないかと探していました。ある日、カタログで見つけたチューリップの花に興味を持ちます。早速、球根を10個取り寄せました。

それを開花させて市場で切り花として売ると、1本5銭という高値がつきました。10本で50銭を売り上げることができ、あまりの高値に驚いたそうです。まだ白米一升が50銭という時代でした。

そこから何年もの苦労を重ね、球根栽培の成功に至ります。水野氏の奮闘が、降雪地帯の多くの貧しい農家を救ったといえますね。

富山県では450品種の栽培が行われています。そのうちの4品種はオランダにもわたり、高い評価を得ています。

一方、近年では輸入の自由化によって、オランダ産の球根に押され気味な面もあります。

ただし、水田裏作で育てられた日本産の球根は皮が硬く、栽培するのには高温多湿の日本の気候・土壌に適しているのです。

5章 最後に

チューリップの歴史について紹介しました。参考になりましたか?

チューリップはその愛らしい姿から、世界中で愛でられてきました。チューリップ生産量が世界1位のオランダをはじめ、トルコ、ハンガリー、アフガニスタン、カザフスタンなどの世界中の国々の国花でもあります。

品種も豊富で、栽培も難しくないため自宅でチューリップを育てている人も少なくないでしょう。

また、チューリップが咲き誇る3~4月は、卒業・入学など人生の門出を迎える時期。お祝いにチューリップを贈るのも◎。

可憐なチューリップを楽しんでみてくださいね。

提供・はな物語

こちらの記事は、プリザーブドフラワー専門店・はな物語の提供でお送りしました。

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チューリップの歴史を調べる一助になれば幸いです。

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