平安時代は和歌で! プロポーズの歴史は男女の演出の歴史だった

男性が大きな花束と婚約指輪を捧げ、女性にプロポーズするシーン。誰しも映画やドラマで1度くらい見たことあるのではないでしょうか?

男性にとっても、プロポーズは一生に1度の大勝負といったところ。婚約指輪選びからプロポーズ当日の段取りまで、綿密に計画する人も多いですよね。

片や女性にとって、恋人から求婚されることは人生で最高に幸せな瞬間かもしれません。

そんな幸せな習慣は、いつどのようにして始まり世界中に広まっていったのでしょう?日本でのプロポーズの歴史は一体いつから?

この記事では、プロポーズという風習の歴史を紹介します。その起源は古く、西洋では古代ローマ・ギリシャ時代にはすでにありました。

日本においても歴史は古く、平安時代では気持ちを和歌に詠んで贈り合いました。時を経て江戸時代になると、庶民の間で手紙や歌を通したプロポーズが広がっていきます。

花束と婚約指輪を用意してプロポーズ、というのは実はかなり近代に定着したスタイルなんですよ。そんなプロポーズの変容を紹介しましょう。

 1章 プロポーズの起源

プロポーズとは、愛する人に結婚を申し込むこと。男性から女性にするのが一般的です。このプロポーズの風習、実はかなり昔からありました。

プロポーズの始まりは、古代ローマ時代までさかのぼります。当時はすでに指輪を贈る習慣もあったんですよ。当初は鉄製の指輪をつけていたそうです。

指輪を贈る習慣に関しては、3章で詳しく紹介しましょう。

 2章 日本におけるプロポーズの変遷

日本におけるプロポーズはどのような変遷をたどったのでしょうか。

2-1、古墳時代-名前を呼ぶだけのプロポーズ-

日本で男性から女性へ求愛する行為が始まったのは、古墳時代といわれています。好きな異性の家の前で気持ちを詩にして読んだり、相手の名前を呼んだりする行為が求婚とみなされていたようです。

この求婚スタイルを「ヨバヒ」といいました。

ただ家の前で名前を呼ぶだけの行為が求婚になるなんて、現代では想像できませんよね。

ちなみに、当時は男女の恋愛が大らかに認められていました。現代のように厳密な結婚制度もありません。そのため、男女が意中の相手と気ままに結婚する「集団婚」というスタイルでした。

2-2、平安時代-プロポーズは和歌で-

平安時代になると、主に貴族の男女の間で、気持ちを歌に詠んで贈り合う風習が生まれました。プロポーズもはやり、歌にして読むことが一般的だったようです。

平安初期に成立した『伊勢物語』から2首紹介しましょう。プロポーズと、それに対する返事の歌です。

1首目は男性が女性に詠んだ歌。2首目は、その歌に対する女性の返事の歌です。

「筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざる間に」

【訳】幼い頃に筒井で背比べをした私の身長は、あなたに会わないうちにすっかり筒井を越しました。

男性はこの歌で、幼馴染の女性にプロポーズしています。身長が伸びたことに象徴されるように、自分は一人前になったと伝えたいのでしょう。

対する女性の返事の歌です。

「比べこし 振り分け髪も 肩過ぎぬ 君ならずして 誰かあぐべき」

【訳】あなたと比べてきた振り分け髪も、肩より長くなりました。あなた以外に誰がこの髪を結い上げてくれるのでしょうか(誰も結い上げてくれません)。

振り分け髪とは、髪をセンターで分けて左右に垂らした髪型のこと。肩のあたりで切りそろえているため、現代でいう「おかっぱ」スタイルです。当時、男女とも8歳ごろまでこの髪型をするのが一般的でした。

女性が垂らしている髪を結いあげることは、「成人」の儀式でした。当時の女性の成人年齢はおよそ12~16歳。

成人を迎えると同時に結婚することが多かった時代です。同じく一人前になった幼馴染の男性と、ちょうどよい結婚のタイミングであり、互いに和歌を贈り合ってその意思を確認したのでしょう。

しかし、平安後期以降になると、和歌を贈り合うような風習は影を潜めます。それは、乱世になり結婚が恋愛を経て行われるものから、家と家の結束を強める政略的な意味合いへと変わっていったからです。

もちろん、平安時代にも政略結婚は存在しました。自らの権力を拡大、維持するために、積極的に自分の子どもを政略結婚に利用した権力者はいます。

安土桃山時代になると、恋愛を経ない政略結婚はさらに顕著となりました。結婚する本人同士の意思とは関係ないところで決まってしまうのですから、プロポーズをする機会も必要もありませんよね。

2-3、江戸時代-女性が優位のプロポーズ-

江戸時代になると、江戸の町では庶民の間で歌や手紙を贈り合ってプロポーズするスタイルが広がりました。

庶民がこのように手紙のやり取りができたのは、当時の人々の識字率が高かったことを意味しています。寺小屋で読み書きをマスターした男女が、自在に恋文を書いていたということですね。

さらに驚きなのは、恋文の書き方や、ここぞというときの「決め台詞」を紹介した本も出版されていました。現代でいう「恋愛指南本」といったところ。

当時の男女にとって、恋愛やプロポーズはかなりの関心ごとだったことがうかがえます。

男性は女性に選ばれるためにせっせと手紙や歌を贈り、ひたすら女性の気を引くことに腐心していたのです。

一方、男性からプロポーズする場合、櫛を贈る習慣がありました。

これは、所帯を持つことは「苦しくてしんどい」ものだから、「苦労」の「く」、「しんどい」の「し」からきているのだそうです。

シャレが効いていていかにも江戸っ子という感じですよね。「共に所帯を持ち苦しみ、死ぬのも共に添い遂げる」という、なかなか深い意味が込められていたようです。

また、離婚のときはもらった櫛を妻が夫に投げつけて追い出したそうです。追い出された夫はその櫛を質に入れて宿を借り、雨風をしのいだとか。夫婦間における女性の力が強かったことをうかがわせますね。

 3章 なぜ指輪を贈るの?

今やプロポーズの際に欠かせない婚約指輪。男性から女性に贈るのが一般的ですよね。でも、この風習はいつから、なぜ始まったのでしょうか?

西洋における婚約指輪

指輪を渡す起源は1章でふれたように、古代ローマ時代にさかのぼります。一説によると、最初に結婚指輪をはめたのは、9世紀のローマ教皇ニコラウス1世だったといわれています。

相手から渡された指輪をつけることは、「婚約履行の誓約のしるし」とされていました。

1世紀頃の指輪は鉄製でしたが、2世紀頃には金の指輪を贈るようになったようです。

また、古代ギリシャでも指輪を贈る習慣がありました。といっても、現代とはかなり意味が異なったようです。

当時のギリシャでは、結婚は夫となる男性が妻になる女性を買う、売買婚が通例でした。

婚約の成立と同時に、夫の家は妻の家にお金を支払います。その証拠として、妻の父親に指輪を贈ったのです。つまり、当時の指輪は愛の証でもなく、また妻に贈るものでもありませんでした。当時の結婚とは、一種の取引だったことがわかりますね。

なぜ婚約指輪は左手の薬指につけるの?

なぜ婚約指輪を左手の薬指につけるようになったのでしょうか。それには、このような説があります。

古代ローマ・古代ギリシャでは「左手の薬指と心臓は1本の太い血管でつながっている」と考えられていました。

そのため、心臓に近い左の薬指に指輪をはめることは、「相手の心臓=ハートをつなぎ止める」という意味も込められていたそうです。なんだか指輪の重みがグッと増すお話ですね。

日本における婚約指輪

日本での婚約指輪の歴史はまだまだ浅いものです。日本に婚約指輪の風習が伝わったのは明治時代といわれています。本格的に普及したのは1970年代に入ってから。

そのきっかけになったのは、あるダイヤモンド会社のCMでした。

「お給料の3か月分」というキャッチフレーズを大々的に流したのです。なぜ3ヵ月分なのかというと、当時の結納金が月給の3ヵ月分だったためといわれています。

給料3ヵ月分の指輪を買うといったら、男性にとっては清水の舞台から飛び降りる思いだったかもしれませんね。

ちなみに現代では、婚約指輪の金額の相場は約30万円。「給料の3か月分」よりは下がったといえます。

 4章 なぜ花を贈るの?

プロポーズの際、婚約指輪と一緒に大きな花束を用意している男性も多いですよね。この風習が始まったのは、19世紀のヨーロッパとされています。

当時、男性がプロポーズするときに、野に咲く花を花束にして愛する女性に渡しました。女性が男性の求婚に応えるのならば、その花束から1本花を抜いて男性の胸に飾ってあげます。こんなステキなプロポーズ、女性なら大歓迎ですよね。

現代、プロポーズのときに贈る定番の花といえば、赤いバラでしょうか。豪華な雰囲気の演出にもあり、またその花言葉はプロポーズにぴったりです。

  • 「あなたを愛しています」
  • 「愛情」
  • 「情熱」
  • 「美」
  • 「熱烈な恋」

また、本数や色によってもバラの花言葉は変わりますので、「色や本数で意味も変わる! 薔薇(バラ)の奥深い花言葉」も参考にしてみてくださいね。
https://www.hanamonogatari.com/blog/14/

 5章 最後に

プロポーズの歴史についてまとめました。参考になりましたか?

プロポーズのスタイルは時代ごとにかなり違っていることがわかりますよね。

今の婚約指輪と花束を持ってプロポーズするスタイルは近年に始まったといえます。

また、現代は女性からプロポーズするのはあまり一般的ではありません。片や江戸時代には女性からデートに誘い、プロポーズもしていたというのは意外ですよね。今風にいうなら「肉食系女子」でしょうか。

でも、どんな時代であっても一生を共にしたいという気持ちを恋人に伝えたいのは同じこと。プロポーズのスタイルは変わっても、人の根本的な気持ちは変わりません。

時代を通して、人は相手に自分の真剣な気持ちを伝える術を模索してきたのかもしれませんね。

提供・はな物語

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プロポーズの歴史を調べる一助になれば幸いです。

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