ひまわりの歴史|北米原産の種からロシアの油糧作物・夏の花へ

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花言葉・花の知識

夏の空の下で大きく咲くひまわりは、見ているだけで明るい気分になる花です。けれども、ひまわりの歴史をたどると、最初から「夏の観賞花」としてだけ愛されてきたわけではありません。

ひまわりは北アメリカを原産地とするキク科の一年草で、古くから種や油、染料、儀礼などに利用されてきました。ヨーロッパへ渡った後はロシアで油糧作物として発展し、そこから再び北アメリカの商業作物として広がった、少し回り道のある植物です。

この記事では、ひまわりの名前、原産地、先住民の利用、ロシアでの油の歴史、日本への伝来、そして「本当に太陽を追うの?」という疑問まで、古い説をそのまま繰り返さず、現在確認できる情報に合わせて整理します。

ひまわりとはどんな花?

夏空の下に広がるひまわり畑

ひまわりは、学名を Helianthus annuus とするキク科ヒマワリ属の一年草です。英語では sunflower、日本語では「向日葵」「日回り」とも書かれます。大きな一輪の花に見える部分は、実際には多くの小さな花が集まった「頭花」です。

一般的なひまわりは、夏に黄色い舌状花と褐色の中心部をもつ大きな花を咲かせます。観賞用のほか、種を食用や採油用に使う作物としても重要です。園芸品種には、背の高いもの、鉢で育てやすい矮性のもの、八重咲き、赤みを帯びた花色のものなど、さまざまなタイプがあります。

「太陽の花」という印象が強い一方で、ひまわりの魅力は見た目だけではありません。人々の食生活、油の生産、地域の景観、園芸文化と結びつきながら、世界各地で役割を変えてきた花です。

北アメリカで利用されてきたひまわり

原産地は北アメリカ周辺

ひまわりは北アメリカ原産の植物として説明されることが多く、植物データベースでは Helianthus annuus の自然分布をアメリカ南西部からメキシコ周辺と扱う資料もあります。日本語の百科事典や辞書でも、北アメリカ原産のキク科一年草として紹介されています。

ただし、現代のひまわりには野生型、栽培型、逸出したものがあり、分布や利用の歴史を一言で説明するのは簡単ではありません。本文では「北アメリカを起点に、人の手で広がっていった植物」と考えると理解しやすいでしょう。

種・油・染料などに使われた

青空の下で咲く二輪のひまわり

北アメリカの先住民社会では、ひまわりは食料としてだけでなく、さまざまな用途に使われていました。種を粉にして食べたり、油を利用したりしたほか、染料、身体への塗布、儀礼、茎の素材利用など、多面的に活用されていたと説明されています。

旧記事では「もとは食品」と大きくまとめていましたが、実際には「食品だけの花」と言い切るより、暮らしの中で複数の役割をもった植物と見るほうが正確です。食べる、塗る、染める、飾る、祈る。ひまわりは、現代の私たちが想像する以上に生活と近い場所にあった植物でした。

栽培化の説明は慎重に見る

ひまわりの栽培化については、現在も研究上の議論があります。現存する栽培ひまわりについて、東部北アメリカで一度栽培化されたとする遺伝学的研究がある一方、メキシコでの先コロンブス期の利用を示す考古・民族植物学的研究もあります。

そのため、一般向けの記事では「どこか一か所で、いつ、完全に始まった」と断定するより、北アメリカを中心に古くから人に利用され、のちに栽培作物として広がった、と捉えるのが無理のない説明です。

ヨーロッパへ渡り、ロシアで油糧作物に

小皿に入った黄金色のひまわり油

ひまわりは、新大陸からスペインを経てヨーロッパへ伝わりました。最初は珍しい観賞植物として広がり、やがて種から油を搾る利用が注目されるようになります。

ひまわり油の歴史で大きな役割をもったのがロシアです。18世紀には栽培植物として人気が高まり、19世紀には商業的な油の生産が進みました。ロシア正教の斎の期間に多くの油脂食品が制限される一方、ひまわり油は禁じられていなかったという説明もあり、食用油としての普及を後押ししたとされています。

その後、ロシアで改良された種子は北アメリカへ戻り、19世紀後半には「Mammoth Russian」といった名前で種苗カタログに載るようになりました。つまり、ひまわりは北アメリカからヨーロッパへ渡り、ロシアで作物として発展し、再び北アメリカの農業へ戻ってきた花でもあります。

日本では江戸時代に名前が広がった

日本におけるひまわりの記録は、江戸時代の文献に見ることができます。コトバンク収録の日本大百科全書では、中国での記録を経て、日本では『訓蒙図彙』(1666年)に「丈菊」「天蓋花」「迎陽花」といった記述があることが紹介されています。

その後、貝原益軒の『花譜』(1694年)では「日向葵」「向日葵」にあたる名が見られ、『大和本草』では「日マハリ」とも記されています。伊藤三之丞の『花壇地錦抄』(1695年)にも日廻りの名が出ており、元禄期ごろには「ひまわり」という呼び名が広がっていたと考えられます。

当時の人々にとっても、ひまわりは「太陽に向かう花」として印象づけられていたのでしょう。大きな黄色い花、夏の強い光、太陽を思わせる姿が、日本語名にも文化的なイメージにも結びついていきました。

ひまわりは本当に太陽を追う?

広い畑で同じ方向を向いて咲くひまわり

「ひまわりは太陽を追って回る」とよく言われますが、これは半分正しく、半分は注意が必要です。成長途中の若いひまわりは、体内時計の働きによって太陽の動きに合わせるように向きを変えることがあります。

一方、花が開いて茎がしっかりしてくると、その動きは弱まり、多くの成熟した花は東向きのままになります。研究では、東を向いた花は朝に温まりやすく、受粉昆虫を引き寄せやすいことが示されています。

つまり、ひまわりは一生ずっと太陽を追い続ける花ではありません。「若い時期は動くことがあり、開花後は多くが東向きに落ち着く」と覚えておくと、名前の由来と植物としての実態を両方理解しやすくなります。

種・油・飼料としてのひまわり

現代のひまわりは、観賞用だけでなく、農作物としても重要です。種は食用のスナックや菓子材料に使われ、油用品種からは食用油が作られます。油を搾った後のミールは、家畜飼料の原料として使われることもあります。

農業市場の資料では、ひまわりは世界80か国以上で栽培され、油用と菓子用の市場があると説明されています。花びらをサラダの彩りに使う例や、若いつぼみを調理する例を紹介する園芸資料もありますが、家庭で試す場合は品種や栽培環境、農薬の有無をよく確認してください。

この記事では、ひまわりの種や油について特定の効能を強くうたうことはしません。歴史を知るうえで大切なのは、ひまわりが「見る花」であると同時に、「食べる・搾る・育てる」作物としても長く人の暮らしを支えてきたという点です。

ひまわり色の明るいプリザーブドフラワーギフト

はな物語でご紹介する商品は、ひまわりそのものを使ったものではありません。ここでは、ひまわりのような明るい黄色の印象に近い、イエロー系のプリザーブドフラワーを夏のギフト候補として紹介します。

生花のひまわりは季節感が魅力ですが、相手に長く飾ってもらいたい場合は、水やり不要で楽しめるプリザーブドフラワーも選びやすい方法です。誕生日、父の日、退職祝い、夏のご挨拶など、明るい色を添えたい贈り物には、はな物語のプリザーブドフラワーギフトもあわせてご覧ください。

ひまわりのよくある質問

ひまわりの原産地はどこですか?

一般には北アメリカ原産と説明されます。植物データベースでは、Helianthus annuus の自然分布をアメリカ南西部からメキシコ周辺と扱う資料もあります。野生型、栽培型、逸出したものがあるため、歴史を読むときは北アメリカを起点に広がった植物と考えると分かりやすいです。

ひまわりは最初から観賞用の花だったのですか?

いいえ。北アメリカでは古くから種や油、染料、儀礼などに使われ、ヨーロッパへ渡った後は観賞植物としても広がりました。その後、ロシアで油糧作物としての利用が大きく発展しました。

ひまわりは本当に太陽を追って動きますか?

若い成長段階では太陽の動きに合わせるように向きを変えることがあります。ただし、花が成熟すると動きは弱まり、多くは東向きのままになります。つまり、一生ずっと太陽を追い続けるわけではありません。

日本にはいつごろ伝わったのですか?

江戸時代の文献に記録が見られます。『訓蒙図彙』(1666年)には「丈菊」などの名で紹介され、17世紀末の文献には「日向葵」「向日葵」「日廻り」にあたる名が見られます。

ひまわりの種は食べられますか?

食用として販売されているひまわりの種は、スナックや菓子材料などに使われます。ただし、観賞用に育てた花の種を自己判断で食べるのは避けましょう。農薬や品種、保管状態が分からないため、食べる場合は食品として販売されているものを選ぶのが安心です。

ひまわりのような黄色い花をギフトで贈れますか?

生花のひまわりは季節感が魅力です。長く飾れる黄色のギフトを探す場合は、イエロー系のプリザーブドフラワーも選択肢になります。水やり不要で飾れるため、誕生日や夏のご挨拶にも使いやすい贈り物です。