男の子のお祝いになったのはいつから? 端午の節句の歴史と由来

男の子の節句といえば、端午の節句ですよね。ゴールデンウィークと呼ばれる大型連休中の祝日なので、家族一同が集まってお祝いする家庭も少なくないのではないでしょうか。

男性は子どもの頃、家族そろってお祝いをした記憶がある人もいるでしょう。

日本の国会で5月5日が「こどもの日」と制定されたのは1948年のこと。「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」とされています。母親にも感謝する日であるというのが意外ですよね。

そんなこどもの日ですが、祝日として法律で定められる以前は、「端午の節句」と呼ぶのが一般的でした。菖蒲を飾ることから、「菖蒲の節句」と呼ばれることも。

古くは奈良時代から続く風習で、時代が武家社会へと変遷する中で、男の子の健康と将来の発展を願うという、現代と共通する意味合いに変化していきました。

せっかくの行事ですから曖昧な知識で祝うのは避けたいところ。子どものためにも、伝統を重んじた、正しい形で祝ってあげたいですよね。

この記事では、端午の節句の歴史や、飾りつけや行事食の意味を解説します。

一つ一つの意味を知ることで、より気持ちのこもった端午の節句のお祝いができるようになりますよ。

1章 端午の節句の由来と歴史

端午の節句の始まりは古代中国までさかのぼります。

1-1、はじまりは中国

最初の記録は、晋の時代(264-430年)に書かれた『風土記』。そこに「端午」という言葉が登場しています。

また、年中行事を記した『荊楚歳時記(けいそさいじき)』(6世紀)によると、端午の日に薬草を摘み、絹糸を肩にかける習慣があったようです。また、ヨモギで作った人形を飾り、菖蒲を門にかけると邪気を払えると考えられていたとか。

1-2、奈良時代に日本へ

日本にはもともと、5月に行われていた「五月忌み(さつきいみ)」という習慣がありました。

これは、田植えに備えて神様に五穀豊穣を祈り、早乙女と呼ばれる若い娘達が小屋にこもって穢れをはらうというもの。

この習慣が奈良時代になると、中国の端午の節句と結びついたと考えられています。

端午の節句は、家の軒先に菖蒲やヨモギを吊るしたり、菖蒲湯に入ったりすることで、邪気をはらう日とされていました。この邪気を祓う儀式は、とても重要な意味を持っていたのです。

というのも当時、天災や病気は邪気が運んでくるものとされていました。そのため、人々は菖蒲やヨモギといった匂いの強い植物で邪気を祓うことができると信じていたのです。

この時代には、現代のような「男の子のお祭り」という意味合いは全くなかったことがわかりますね。

むしろ、「女性の権威が発揮される日」とする地域もあります。というのも、5月4日の夜から5日にかけて、家半分または家全体を女性が取り仕切るという習慣が一部の地域であったようです。この期間を「女天下」とも呼びました。

中部地方や四国地方の一部では、5月5日を「女の家」とする風習が今でも残っているようです。

そして、意外なことに当時の端午の節句は5月5日だけに催される行事ではありませんでした。というのも、端午の「端」はもともと月のはじめを意味する言葉。つまり、該当するのは5月の頭だけではないのです。

午と五が同じ音であることから、やがて5月5日を指すようになりました。

1-3、鎧や兜飾りは鎌倉時代から

時がたつにつれ、端午の節句の意味合いが変わってきました。

鎌倉時代以降の武家社会では、端午の節句に欠かせない「菖蒲」が、武道を尊ぶ「尚武」と重ねられ、盛んに祝われるようになります。

鎧や兜、武者人形や金太郎を模した五月人形を飾るようになっていきました。金太郎は童話でおなじみのキャラクターですが、実在した人物がモデルになったといわれています。

その人物とは、平安時代の武将・源頼光に仕えた坂田金時。剛力として知られ、まさにたくましい武士の理想像だったのかもしれませんね。

また、源義経に仕えた武蔵坊弁慶を模した人形などもあったようです。今に通ずる、男の子を祝う行事としての意味は、鎌倉時代にできあがったのですね。

1-4、江戸時代に端午の節句を制定

江戸時代に入ると、徳川幕府は5月5日を端午の節句として正式に定めました。当日は、大名や旗本が正装して江戸城に出向き、将軍にお祝いを奉じるのが決まりごと。さらに、将軍家に男児が生まれると、それを祝して玄関前に馬印やのぼりを立てたそうです。

この頃には庶民の間でも端午の節句を祝う風習が広まっていきました。鯉のぼりを飾る習慣も現れるようになります。ただし、鯉のぼりは関東で見られたもので、京都などの上方ではなかったようです。

1-5、「こどもの日」へ

そして現代ではこの流れを受け継ぎ、男の子の健やかな成長を願う行事となりました。1949年に「こどもの日」と制定されます。

ちなみに、男の子が生まれて初めて迎える端午の節句を「初節句」といい、このタイミングで鎧兜や鯉のぼり、五月人形が祖父母から贈られるのが一般的です。

2章 なぜ鎧や兜を飾るの?

端午の節句に欠かせない飾りといえば、鎧や兜。豪華な鎧兜は、いかにも男の子を祝うためのアイテムですよね。

鎧や兜が飾られるようになった由来は鎌倉時代にあります。当時は権力者の対立が収まらず、戦が断続的に続いた時代。

鎧や兜は戦場において、命を守ってくれる大事な防具でした。そこから、子どもの将来に危険が及ばず、安全に暮らせるように、という願いを込めて鎧や兜が贈られるようになったのです。

特に当時、男の子にはその家を継ぐという重要な役目がありました。無事に育ってほしい気持ちがより強かったことが想像できますね。

ただし、端午の節句に飾る鎧や兜に実戦的な趣はなく、装飾を意識した華やかなものです。
武家社会で鎧や兜は防具であるとともに、儀式のための正装でもあり、神社仏閣に奉納するものでもありました。

端午の節句に限らず、鎧や兜はとても大切に扱われていた品物だったのです。

3章 なぜ鯉のぼりを飾るの?

鎧や兜と並ぶ、お馴染みの飾りといえば鯉のぼりですよね。

鯉のぼりは江戸時代の中頃、端午の節句の広まりを受けて、町人たちによって作られました。

元となったのは中国の故事「鯉の滝登り」。
中国の黄河には竜門とよばれる滝がありました。多くの魚が流れに逆らい、登ろうとしますが歯が立ちません。しかし、鯉だけが竜門を登り切り、竜となったのです。

立身出世を象徴する故事であり、また、成功のための最大の関門を意味する「登竜門」の語源ともなりました。

鯉自体が、あまり環境のよくない池や沼でも生きられる生命力の強い魚であるというのも、鯉にあやかる大きな理由になっています。

4章、菖蒲を飾る意味とは?

1章で述べたように、強い香りのする菖蒲は邪気をはらうために用いられました。
薬草としてもよく使われ、腹痛や解熱に効果があったそうです。

また、「菖蒲」を「尚武」にかけたことから、武道との関係も深いものでした。
鎌倉時代には菖蒲で兜を作り、刀剣のような形をしている葉を刀に見立てて、子どもたちがチャンバラごっこをしていたようです。

明治時代になっても、農村地帯では菖蒲や空木を材料に竹刀のようなものを作り、隣村の若者たちと叩き合いをして、農作物の出来を占っていました。

5章 行事食を食べる理由は?

端午の節句に食べるものといえば、ちまきと柏餅ですよね。これにもちゃんと理由があるんですよ。

5-1、ちまき

ちまきは、もち米やうるう米を笹の葉などで包んだもの。端午の節句に限らず、今では一般的に食べられていますよね。

ちまきは、中国から端午の節句と一緒に入ってきた食べ物だと考えられています。端午の節句にちまきが食べられるようになったきっかけは、中国の故事にあるとされています。

楚の時代(?-紀元前223年)、人望の厚い屈原という詩人がいました。
屈原は陰謀に巻き込まれ、国を追われます。失意の中、ついに川に身を投げ、水死してしまいました。その日付が、5月5日だったのです。

屈原の死を悲しんだ姉や人々が、たくさんのもち米を川に投げ入れ弔ったそうです。

しかし、後に屈原は幽霊となって現れます。曰く、「供え物を捧げてくれるのはありがたいが、私の元に来る前に蛟龍(こうりゅう)という悪龍に盗まれてしまう。今度からは、蛟龍の苦手な楝樹(れんじゅ)の葉で包み、五色の糸で縛ってほしい」

これが、5月5日にちまきを食べるきっかけになったといわれています。

ちなみに、日本では当初、笹ではなくチガヤの葉で包んでいました。そのため、「ちまき」と呼ばれるようになったのです。

5-2、柏餅

こちらは日本が発祥の食べ物。江戸時代に登場しました。
柏は、神が宿る木とされています。神社に行った時や神棚の前で、手を叩きますよね?あれを柏手と呼ぶのもそのためです。

柏が使われるのは、柏の葉が子孫繁栄を象徴しているからとされています。
柏の木は冬になっても葉が落ちず、新芽が出るまではずっと古い葉をつけているんですよ。

これが、「子どもが生まれるまでは親が死なない」ということを連想させ、家系が途絶えず続くという意味合いを持つことになりました。

6章 最後に

端午の節句には鎧や兜を飾る、鯉のぼりをあげる、柏餅やちまきを食べる、ということは知識として既に知っているという人も多いでしょう。

しかし、由来や込められている意味までとなると、わからないこともあったはず。

長い歴史のある伝統行事の意味を改めて知ることで、子どもをお祝いする気持ちや心構えもより深いものにできるでしょう。

端午の節句のお祝いをする際は、ぜひ歴史や由来も考えながら、お子さんを祝ってあげてくださいね。

提供・はな物語

こちらの記事は、プリザーブドフラワー専門店・はな物語の提供でお送りしました。

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端午の節句の歴史を調べる一助になれば幸いです。

端午の節句は菖蒲、といったように、日本の年中行事にはそれぞれ特定の花が愛でられますよね。行事をきっかけに、お部屋に花を飾るようになる人も少なくないのだとか。

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