草木に1億円!江戸の園芸ブームは数々の品種を生み出していた

様々な芸能文化が発展した江戸時代。その中でも、目覚ましく発展したのが園芸です。将軍から一般庶民まで、今では想像できないぐらい人々は草花に高い関心を抱いていたんですよ。

人々は競って、朝顔、菊、椿、蓮などの品種改良を行いました。次々に生まれる珍しい品種を、今では考えられないような高額な値段で売り買いしていたとか。

また、植物の生態や様子を記録した図鑑や学術書も多く刊行されました。一部の人々は園芸愛好会までつくっていたのですから、草花への熱はよほどだったようですね。

1860年、来日したイギリス人の植物学者であるロバート・フォーチュンは、当時の江戸を「世界一の園芸大国」と絶賛。江戸で栽培された草花は世界中に輸出され、高い評価を得ていました。

この記事では、そんな江戸時代の園芸文化を紹介します。なぜ園芸がブームとなり、島国日本が世界に称賛される園芸技術を手に入れるに至ったのか。その背景と内容を見ていきましょう。

1章 江戸は世界屈指の園芸都市だった

1-1、園芸が発展した理由

江戸で園芸が発展した理由として挙げられる、有力な所説を紹介しましょう。

理由1 将軍が火付け役

江戸時代の初代~3代将軍、徳川家康・家忠・家光は大の花好きであったとされています。その花好きは、将軍に仕える大名や旗本にも影響を与えました。大名や旗本は住居の江戸屋敷で、将軍に見習って庭に植える花に凝るようになったとか。

また、江戸時代に始まった参勤交代で、五街道(東海道・中山道・甲州道中・日光道中・奥州道中)が流通します。すると江戸に沢山の珍しい草花が全国から集まって来るようになりました。

都市基盤が整い、更に将軍の花好きに後押しされ、江戸の町は「園芸都市」として大きく発展して行く事になったのです。この時代には、様々な品種が江戸近郊の大規模な園芸商によって生み出されていきます。

理由2 安定した社会

1603年に徳川家康が征夷大将軍に任官されてから、1867年に政権を返上するまでの264年間は、比較的安定した世が続きました。文化・芸術が一気に成長するにふさわしい時代だったと言えるでしょう。この時代には、園芸のみならず、歌舞伎舞踊なども発達しました。

理由3 江戸の町構造

文化文政期の江戸は、面積の60%が武家屋敷と寺社、25%が農地で、残りの15%が町家でした。そのわずか15%に60万人もの庶民が暮らしていたのです。

地方からやってきた者も多く、大都会で暮らす彼らの癒しとなったのが園芸植物。特定の地域に人々が密集して暮らしていたわけですから、草花に関する情報交換もさかんだったと推測されます。

また、当時の江戸に住む人々の月収は、現在の日本円にして20万円程だったのだとか。世も安定し、お金も多少余裕はある。余暇を費やすにふさわしい趣味として園芸が庶民の間でも広がりを見せたようです。

1-2、中国の園芸文化の影響

「園芸都市江戸」のきっかけは、日本独自の背景だけではなく、中国の影響も大きく関係しています。

影響1 中国の園芸文化

日本の園芸文化は、中国の影響を大きく受けています。中国では唐時代からボタン・梅・桃などの花が愛でられていました。また、より美しい草花を求めて、育種技術が培われた時代でもあります。

宋時代には、シャクヤク・東洋ランなどが文化人・上流階級の間で人気となります。この他にも、キクやハス、フヨウなどが観葉植物として人気だったようです。

こうした草花や中国の習慣が日本に持ち込まれ、日本でも草花を観賞することが、上流階級の間で流行し、後に武家、庶民までもが楽しむ様になりました。

影響2 中国薬学の影響

中国で始まった薬用に活かすための動物・植物・鉱物などの天然物の知識や学問は「本草」と言われ、奈良時代に日本に伝わっていたとされています。

日本において本草学が盛んになったのは、本草学の集大成、李時珍の『本草綱目』が徳川家康に献上された時以降のこと。8代将軍吉宗の時代には、海外から様々な天然物を使用した、薬や砂糖などが輸入されるようになっていました。自国で自給しようと吉宗は、採薬使の派遣を行います。

これをきっかけとして、人々がお金儲けのために、又は純粋な好奇心から、天然物=植物・鉱物に興味を示すようになり、園芸文化に繋がったとする見解もあります。

1-3、園芸書の刊行

江戸の園芸技術の高さや、人々の園芸にかける思いは、当時の園芸書を見れば明らか。園芸書の前身は植物図鑑でした。いわゆる花のカタログです。江戸時代前期に流行したツツジの名花図「躑躅花譜」、36種のカエデに美しい銘と古歌を添えた「古歌仙紅葉集」、日本初の桜の図鑑「怡顔斎桜品」などが有名です。

この他にも、江戸時代を通してフクジュソウ、オキナグサ、カノコユリ、ニシキランなどの変種や美しい花を書き記した図鑑なども発刊されています。

お花のカタログである図鑑に対し、「育て方やその技術」が記された日本初の園芸書は水野勝元著の「花壇綱目」(1681年発行)でした。この書には、季節ごとに花の特徴と栽培法が記されています。

その他の園芸書としては栽培手引き「草木育種」、温室や冷蔵室などを図入りで解説している「剪花翁伝」、菊作りを図解した「菊花壇養種」などが挙げられます。

そのような学術書は、一部の学者だけに読まれていたわけではありません。江戸は識字率の高い都市でした。寺小屋で読み書きをマスターした一般庶民にとっても、図鑑や園芸書は大変興味深い書物だったことでしょう。

こうして園芸技術が一般庶民にもオープンになることで、江戸の町では、階級・男女の差に関係なく園芸が愛され、発展していったのかも知れませんね。

 2章 盆栽文化の発展


盆栽は唐時代から中国で行われており、日本には平安時代に持ち込まれたとされています。その後、鎌倉時代には主に禅僧の間で流行りました。室町時代後期には、華やかな北山文化、わび・さびの基本となった東山文化の繁栄とともに発展。

江戸時代には園芸大ブームに押されて、盆栽文化は大名~庶民にまで広がったとされています。享保~元文年間(1716~40)には、草花・木を更に綺麗に飾ろうと鉢植えや植木鉢が出回る様になり、江戸に住む人々の園芸熱・盆栽熱をヒートアップさせました。

江戸の庶民は、天秤棒に植木鉢をぶら下げて売り歩く行商人や、露店から植木鉢を購入しては、軒先に並べて楽しんだのだとか。3代将軍、徳川家光も盆栽の熱心な愛好家だったようです。

現在でも東京の下町では、路地からはみ出るようにして並べられた花々が見かけられます。江戸時代の名残が残っているのかも知れませんね。

喜多川歌磨の「庭中の涼み」、鈴木春信の「中納言朝忠」、葛飾北斎の「萬年春寿」などの浮世絵からも、人々の日常生活に寄り添う植物・鉢植えそして、盆栽文化がうかがえます。

 3章 武士の園芸


武士に草花はあまり似合わないイメージがありますよね。でも実は、武士が園芸文化を発展させたと言っても過言ではないのです。

もともと、室町時代には武士の間で盆栽が流行していました。彼らは庭で育てた植木を市場に卸していたのです。それが江戸時代になると、武士が大々的に植木を栽培して卸すことははばかられるようになっていきました。

しかし、江戸時代も後半になると、武士は困窮してきます。内職として自宅で植木や花を栽培し、売っていた者も少なくなかったとか。

特に旗本の次男、三男など家を継げない武士が高尚な趣味として、一攫千金を狙いその生産を支えていたようです。中には園芸にどっぷりとはまり、同好の士を集めた植物研究サークル(連、会、側)を結成し始めた者も。

武士たちは、江戸時代の園芸の中で特に人気のあった異品を熱心に栽培しました。特に下記の植物は大変人気があったようです。

  • カラタチバナ(唐橘)
  • オモト(万年青)
  • マツバラン(松葉蘭)
  • セッコク(石斛、長生草)
  • ニシキラン(錦蘭)

斑入(ふいり)、矮小、葉変わり(異形葉)など、突然変異などで生じた変種は高額で取引される事が多かったとか。お金を生み出す植木なので「金生樹」と呼ばれるほどでした。

どれも現代人からすれば、地味でぱっとしない印象ですが、当時は1鉢、数千万~1億円でやり取りされていたというから驚きです。

さらに、岩崎灌園、毛利梅園、馬場大助、水野忠暁など、植物図鑑の編纂に一役かった幕臣も出てくる程でした。こうした武士の園芸への情熱が、日本の園芸技術を向上させ、支えてきたのですね。

 4章 品種改良ブーム


より美しい草花を求めて、江戸時代には品種改良が進みました。

4-1、ソメイヨシノ

日本の桜の代表格といえば、ソメイヨシノですよね。全国に植えられている桜の8割を占めるとされています。

このソメイヨシノは、元からあった品種ではありません。ピンクの花が特徴的な「エドヒガン系の桜」と、花付きの良さが魅力の日本固有種の「オオシマザクラ」の交配種です。

桜の人気が出るようになったのは平安時代。ただし、その頃はまだ上流階級の人々が愛でるだけでした。

桜が一般庶民にも好まれ、現代の「お花見スタイル」が確立したのは江戸時代とされています。そんな桜人気に押されて生まれたのが、このソメイヨシノ。品種改良をした桜=ソメイヨシノを当時の植木屋は奈良の日本一の桜の名所、吉野山の地の名前を借り、「吉野」として販売し始めます。

実際には、ソメイヨシノと吉野山の桜は品種も系統も全く違う桜なのですが、瞬く間に人気となったようです。後に吉野という名では、吉野山の桜と混同される、ということで「ソメイヨシノ」という名が定着しました。

10数年で立派な成木となり、お手入れも簡単な事から全国各地の城跡、公園、道路、堤防、学校などでも植えられるようになりました。

4-2、朝顔

朝顔は世界でも類を見ない程、品種に富んだ植物です。幕末までには1200もの系統が誕生したというから驚きですね。

江戸時代には1804年-1830年と1848年-1859年の2度、朝顔が流行しました。その時期に様々な品種が生み出されたとされています。

花弁が切れていたり、朝顔では珍しく八重咲になったりと、突然変異による変種もあったとか。そうした朝顔は「変化朝顔(へんかあさがお)」と呼ばれ、特に美しい一品は高値で取引されました。

4-3、菊

菊はもともと上流階級の人々の間で尊ばれた花です。そんな菊も江戸時代になると一般庶民も鑑賞を楽しむ花となりました。

そして、園芸ブームによって菊の品種改良も進んでいきます。地域独自の発展を見せ、品種が誕生した地名を取った「江戸菊」「嵯峨菊」「肥後菊」などが有名です。

この時代に作られた品種は「古典菊」と呼ばれ、花びらの形状から一文字・大掴み・管物・厚物といった種類に分けられています。

4-4、オモト

現代でも新居購入や、引っ越し祝いの品として選ばれることの多いオモト。江戸時代でもやはり縁起の良い植物とされていました。

1606年、徳川家康は江戸城に入城する際、オモトを贈られています。オモトをとても気に入った家康は、城の床の間に真っ先に飾ったとか。

こうした背景から、江戸時代には積極的に品種改良が進められていきます。斑入り、葉の展開パターン、シワの入り方、丹精さなどに磨きを掛けたオモトが生産されるようになりました。

育て方によっても斑の入り方が変わってくるので、オモトは育てがいのある植物だったようです。オモトの魅力にどっぷりはまってしまった人もいたとか。

現在でもコレクションする人が多く、確認されているだけで229種にも及ぶとされています。

5章 品評会

菊、朝顔、サクラソウ、オモトなど品種の多い植物では、花合わせが行われていました。花合わせとは、いわば変わり種や手塩を掛けて育てた自慢の草花を持ちより、その美しさを競い合う品評会、展覧会です。菊だと1713年頃から、サクラソウは1804年頃から品評会が行われていたようです。

特に人気の朝顔は、毎年大掛かりな品評会が江戸で開かれていました。東京の入谷で毎年7月に開催される朝顔市は、江戸時代の朝顔熱が元で始まった催しです。

こうした品評会が開かれる事で、人々の関心を高め、品種改良に拍車をかけていたのですね。

6章 海外への輸出

日本独自の感性により生み出された数々の名作は、海外に輸出され始めます。例えば、菊は中国からやってきた花。その菊を日本で改良した「古典菊」を中国に逆輸入しました。大変な好評を得たといいます。

1860年に幕末の日本を訪れたイギリス人の植物学者、R.フォーチュンは、江戸の「階級差を越えて見られる植物への愛情」・「整った生産基盤」・「多種多様な品種」の3点を評価しています。

また、フォーチュンはイギリスに日本で改良された菊を初めて紹介した人でもあります。もともと、イギリスには中国の菊が伝わっていましたが、パッとしない控えめな見た目からか、あまり普及しませんでした。

ところが、フォーチュンが日本で手に入れた菊をイギリス本国で紹介すると、菊ブームが起こったとか。そしてヨーロッパでもスプレー菊など、日本のものとは一味違う様々な「洋ギク」が生み出されていきました。

現在では、なんと、キク科植物は世界に20000種もあるとさています。

7章 最後に


江戸時代の園芸水準は、現代の水準以上という見解もあるほど高度でした。ただ残念なことに、江戸時代に生まれた品種がすべて現代に伝わっているわけではありません。黄色い朝顔など、今では幻となってしまった花もあります。

私たちが日常で目にする花も、もしかすると江戸時代に誕生したものなのかもしれません。

江戸の人々に思いを馳せると、普段あまり気に掛けないような朝顔や、当たり前になっている桜がとっても特別で、誇らしい植物のように感じますね。

江戸園芸に興味がある人は、江戸の園芸展などの展示を狙って見ると良いかもしれません。今とは一味違った、草花の楽しみ方を目のあたりにすることができるでしょう。

提供・はな物語

こちらの記事は、プリザーブドフラワー専門店・はな物語の提供でお送りしました。

江戸時代の園芸文化調べの参考になれば幸いです。

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